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名古屋地方裁判所 昭和55年(レ)33号 判決 1982年5月10日

控訴人 横地喜久麿

右訴訟代理人弁護士 竹下重人

被控訴人 日比野哲

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 前田義博

同 原山恵子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人らは、控訴人に対し、別紙目録記載の建物を明渡せ。被控訴人らは、控訴人に対し、各自昭和五二年九月二三日から右明渡ずみまで一か月金五万三〇〇〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は一、二審を通じ被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、以下に付加、訂正するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  請求原因2項中、

1  一行目に「昭和四五年ごろから」とあるのを「その後」とし、

2  三行目に「その後」とあるのを「昭和四四年九月ごろ」とし、

3  四行目に「被告両名に対し、」とあるのを「被控訴人日比野に対し、」とし、

4  五行目に「被告大橋は、」とある次に「昭和四五年二月ごろ」を加入する。

二  同6項を次のとおりとする。

「6 被控訴人日比野は、当初から本件建物を被控訴会社日比野哲商店に使用させる意図があるのにこれを秘し、被控訴人日比野個人が使用する旨、控訴人を欺罔して本件賃貸借契約を締結したものであり、また、現に被控訴人日比野は右被控訴会社に本件家屋を使用させ、被控訴会社はその業務のため本件家屋を使用してこれを占有している。」

三  請求原因に対する認否2項中、

1  一行目から二行目にかけて「昭和四五年九月ごろ」とあるのを「昭和四四年九月ごろ」とし、

2  三行目に「昭和四六年二月ごろ」とあるのを「昭和四五年二月ごろ」とする。

四  同3項中、

1  一行目に「昭和四八年三月」とある次に「及び昭和五〇年四月ごろ、それぞれ」を加入し、

2  三行目に「その余は否認する。」とある次に「右昭和四八年三月ごろ」を加入する。

五  同6項を次のとおりとする。

「6 同6項は、被控訴人日比野が本件建物を被控訴会社に使用させ、被控訴会社がその業務のためこれを使用し占有していることは認めるが、その余は否認する。」

六  被控訴人らの主張2項を次のとおりとする。

「2 被控訴人日比野が本件建物を被控訴会社に使用させることは本件賃貸借の当然の前提であり、控訴人もこれを承諾していた。

かりに、そうでなくとも、被控訴会社は被控訴人日比野が唯一の無限責任社員となっているその個人会社であるから、本件建物を被控訴会社にその業務のため使用させることは賃貸人に対する背信行為にはあたらない。」

七  被控訴人らの主張に対する認否2項中、一行目「被告日比野は」以下を削除する。

第三証拠《省略》

理由

一  控訴人が昭和四二年五月一〇日被控訴人日比野に対し、控訴人所有の本件建物を作業場に使用する目的で賃料一か月三万円の約定で賃貸したことは、当事者間に争いがない。

二  被控訴人大橋が、昭和四四年九月ごろ、同日比野の承諾のもとに、本件建物の一部を使用して営業を始め、昭和四五年二月ごろから控訴人に対し賃料一か月六〇〇〇円を支払うようになったことは当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、昭和四四年九月ごろから昭和四五年二月ごろまでは、被控訴人大橋が前記のように本件建物の一部を使用して営業していたことについて、同日比野は同大橋から電気代として一か月三〇〇〇円くらいを受領していただけで、賃料はこれを徴していなかったが、控訴人が昭和四五年二月ごろ被控訴人日比野に対し、従来の賃料一か月三万円について六〇〇〇円の増額を請求した際、たまたま同席していた被控訴人大橋が、自分も本件建物を使用しているから右増額分を負担しようと申入れ、同日比野もこれに同意し、控訴人もまた同大橋の右申入を容れたこと、この結果それ以後は同大橋が毎月六〇〇〇円を直接控訴人に対して支払い、これに対し控訴人は同被控訴人に専用の家賃通帳を発行してきたこと、しかしその際同大橋の使用範囲についての取り極めはしなかったことをそれぞれ認めることができる。なお、右六〇〇〇円の負担については、控訴人が被控訴人大橋に対して請求し、右両名の間で合意されたものであって、被控訴人日比野は後になるまでそのことを知らなかった旨の《証拠省略》中の各供述部分は措信できない。

以上によれば、被控訴人大橋が本件建物の一部を使用するようになった経緯はしばらく措くとしても、少なくとも右のとおり控訴人及び右被控訴人両名の合意で被控訴人大橋が一か月六〇〇〇円の賃料を負担するに至った時点で、同大橋は、それが賃貸人たる控訴人に対する直接の賃借権か、あるいは賃貸人の承諾を得た転借権か、その法的評価はともかく、控訴人に対する関係でも本件建物の一部を使用占有する権原を取得したということができる。

三  その後、右賃料につき、昭和四八年三月ごろ、被控訴人日比野が一か月三万八〇〇〇円、同大橋が同一万二〇〇〇円、昭和五〇年四月ごろ同日比野が同じく四万円、同大橋が同一万三〇〇〇円にそれぞれ増額となり、また昭和五二年三月ごろ控訴人が右被控訴人両名に対し一五パーセントの増額を請求したが、右両名がこれを拒絶したことは当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》を総合すれば、右昭和四八年及び昭和五〇年の賃料値上げの際はいずれも右被控訴人両名が協議のうえ各負担額が決定されたものであるが(なお昭和四八年に被控訴人大橋の賃料が倍額となったのは、そのころ同被控訴人の兄が本件建物に機械を持ち込んで仕事を始めることになったからである。)、昭和五二年の賃料増額請求のときには、控訴人は右被控訴人両名に対し個別に契約更新通知書と題する書面をもって、これをなしたことを認めることができる。昭和四八年及び昭和五〇年のいずれの場合も被控訴人両名各自に対する個別の請求がなされた旨の《証拠省略》中の供述部分は前記各証拠に照らして措信できない。

四  次に控訴人主張の本件賃貸借契約の解除原因の有無について検討する。

1  本件紛争の経緯及びその際の被控訴人らの言動についてみると、《証拠省略》を総合すれば、次の各事実を認定することができる。

(一)  前記昭和五二年三月ごろの賃料増額請求に対し、被控訴人大橋は、増額分一九〇〇円につき一〇〇〇円未満の端数を切り捨てることを求め、同日比野は、控訴人に対して、本件建物についての被控訴人大橋との使用区分を明らかにしなければ増額に応じられないと回答し、いずれも控訴人の請求を拒絶する形となった。そこで控訴人は右被控訴人両名に対し再度増額の話し合いを求めたが埓があかず、紛争打開のため被控訴人日比野との本件賃貸借を仲介した訴外豊田正男にその解決方を依頼したところ、右豊田は、昭和五二年四月ごろ被控訴人日比野に対し、控訴人から明渡の交渉を頼まれたわけでもないのに、賃料一年分くらいを免除する条件で本件建物を明渡してはどうかと提案した。被控訴人日比野はこれに応じなかったが、同被控訴人からこのことを聞いた被控訴人大橋は、そのころ右豊田に対し、電話で、同被控訴人を抜きにして被控訴人日比野と交渉したことを責め、豊田の店を潰してやるなどと暴言をはき、また控訴人に対しては、二〇〇〇万円出せばすっかり片をつけてやるなどと申入れた。

(二)  被控訴人大橋は、従前より、自分も賃料を払っているのだから権利があると主張し、被控訴会社の従業員との間で本件建物の使用に関し小さないざこざを起すこともあったが、昭和五二年六月ごろ、被控訴人大橋が本件建物に機械を増設しようとしたところ、同日比野が椅子を置いてこれを妨害して右被控訴人両名の間で使用区分について紛争が起きた。そのため、右被控訴人両名は、控訴人に対して右紛争を解決してくれるよう要求したが、控訴人は、右被控訴人両名の間で解決すべき問題であるとして、一切これに応じようとしなかった。

(三)  被控訴人大橋は、昭和五二年七月四日ごろ、同日比野とともに控訴人方を訪れ、控訴人に対し、控訴人の長男の勤務先の上司か、控訴人の弟か、あるいは控訴人の長女の嫁ぎ先の訴外宮田勝吉を呼ぶように要求し、控訴人が右宮田を呼び寄せたところ、同人に対し、被控訴人大橋は、町内の運動会の際残ったパンを控訴人ら役員だけで分配したのは泥棒である、控訴人は他人の電気を無断で使用しており、本来本件建物の通路口になっている土地を他に駐車場として貸して駐車料を取っている等と告げ、また被控訴人日比野は、控訴人が単なる同居人に過ぎない被控訴人大橋から賃料を取ったことが紛争のもとである、控訴人は、被控訴人らの権利関係を明白にすべきであり、控訴人がこれまで右被控訴人両名から受領した賃料の三分の一を被控訴人日比野に返還するよう要求した。

そこで右宮田は、右被控訴人両名に対し、問題点を明らかにするため要望事項を書面にして控訴人宛提出するよう申入れた。

(四)  これに対し、被控訴人日比野は、まもなく控訴人に対し右宮田に述べた要求と同内容の要望書を提出したが、被控訴人大橋は、その後文書は出せないとこれを拒絶した。そこで控訴人が昭和五二年七月一五日付書面で同被控訴人に対し、再度要望書の提出を求めたところ、同被控訴人は千種民主商工会の訴外鹿野進を伴って控訴人方を訪れ、書面は出せない、工場内の被控訴人日比野の椅子を取り除け、裁判を起せ、いつでも受けて立つなどと申向け、あるいは、右控訴人からの書面の表現を非難するなどした。

(五)  そして控訴人は、被控訴人日比野に対し、昭和五二年八月四日付書面で、被控訴人日比野が控訴人に無断で被控訴会社に本件建物を使用させていることが同年七月上旬に判明したこと及び被控訴人日比野が右被控訴会社に本件建物を使用させる意図を秘し控訴人を錯誤に陥いらせて本件建物の賃貸借契約を締結したことを理由に、本件家屋の明渡を求め、また被控訴人大橋に対しては、同年八月四日付書面で、同被控訴人は被控訴人日比野の転借人であり、被控訴人日比野の賃借権が消滅したこと及び被控訴人大橋の背信行為を根拠として本件建物の明渡方を請求した。

(六)  なお、右の前後においては、被控訴人日比野も、同大橋と同様、控訴人に対し、早く裁判を起したらどうかなどと煽るようなこともあり、また、控訴人らが被控訴人大橋の言動に不安を感じ、警察へ相談に行ったこともあった。

以上のように認定することができる。《証拠判断省略》

右認定事実によれば、本件紛争は、被控訴人日比野がかねて抱いていた本件建物における使用区分の不明瞭さに対する不満から、前記昭和五二年三月ごろの賃料増額請求の際、控訴人に対しこれを明らかにするよう求めたことが発端となったものということができる。たしかに、本件建物の使用区分を明確にすることは、被控訴人大橋を本件建物に入れるにつき、かりに控訴人の妻の口添えがあったとしても、ともかくこれに同意した被控訴人日比野と同大橋の間でまず協議解決すべき事項であることはいうまでもない。しかしながら、前認定のとおり、昭和四五年二月ごろ控訴人が右被控訴人両名との合意のうえとはいえ、本件建物の使用区分については何ら取り極めをしないまま、それ以前は被控訴人日比野にも賃料を負担することはなかった被控訴人大橋から直接賃料をとるに至り、前記昭和五二年の増額請求については右被控訴人両名各自に対し個別にこれをなしたこと、換言すれば、控訴人が三者の権利関係を曖昧にしたまま賃料収入だけは確保しようとしたことに照らすと、被控訴人大橋から自分も賃料を払っているから権利がある旨主張された被控訴人日比野が控訴人に対し、賃料増額請求にあたり本件建物の使用区分の明確化を求めたことについて、あながち同被控訴人のみを非難することはできない。

また、控訴人が紛争解決方を依頼した前記豊田が、被控訴人日比野に対し明渡を勧めたことが、被控訴人らの態度を硬化させた大きな一因となったものであって、控訴人が右豊田に明渡の交渉を依頼したことはないとしても、被控訴人日比野の前記要求に応じないまま、安易に右のごとき豊田を折衝役として選び紛争を打開しようとした控訴人の側にも、その後の紛争についての責任の一端があるといわなければならない。さらには、要望書は出せないと断ってきた被控訴人大橋に対し、控訴人が頑ななまでに書面の提出を要求したことも紛争の拡大を招いた一要素になったことは否めない。

ところで、賃貸借契約において、一方当事者の右契約上の債務不履行があった場合はもちろん、右契約に基づく信義則上の義務違反があって当事者間の信頼関係が破壊されるに至ったときには、他方は右契約を解除することができると解すべきことはいうまでもない。そして賃借人としては、賃貸人からの賃料増額請求に対し、誠実に対応すべき信義則上の義務があることもいうを俟たない。しかしながら、賃料増額については当事者間の利害が対立する事柄であるだけに、見解の相違から紛糾が生じ、感情の対立が尖鋭化することもままあることであって、これらの事態が発生したからといって、直ちに右信義則上の義務違反があり、信頼関係が破壊されたと断定することはできない。

本件紛争についてこの点を考えてみると、前記認定の被控訴人両名の言動及び紛争の経緯から明らかなとおり、当事者間の感情的な対立もかなり際立っており、解決が当事者のみでは難しいほどに紛糾し、ことに被控訴人大橋の言動については、一部、賃料増額の交渉とは直接関係のない、控訴人ら家族に対する誹謗や中傷もあり、また被控訴人らの方から逆に金銭の支払を要求している事実も認められ、賃料に関する交渉に伴う通常の紛争における言動としてはいささか穏当を欠くきらいがないではない。けれども、前記のとおり、本件紛争の発端からその拡大に至る経緯において、必ずしも被控訴人らだけにその原因があったとはいえないのであり、また被控訴人らの金銭支払の要求も、その金額及び要求の出るに至ったいきさつに照らせば、被控訴人らが真意から金銭を引き出そうとしているとは認められず、したがって被控訴人らが本件紛争を契機にして金銭を要求しようと企図したともいうことはできない。したがって、前記認定の被控訴人両名の言動の程度では、未だ賃料増額交渉にあたり信義則上要求される義務に違反し、当事者間の信頼関係を破壊したものとはいえない。

2  被控訴人日比野が本件建物を被控訴会社に使用させていることは当事者間に争いがない。

そこで、被控訴人日比野が、本件建物を被控訴会社に使用させる意図を秘し、自己がこれを使用する旨控訴人を欺罔して本件建物の賃貸借契約を締結したものかどうかにつき判断する。

《証拠省略》を総合すれば、控訴人及びその妻証人横地淑子は、会社は操業規模が大きくなることを懸念して、会社に対して本件建物を貸すことに躊躇を感じていたが、被控訴人日比野に案内されて被控訴会社の工場及び事務所を見学し、作業場の規模、作業の種類、騒音の程度等を確認したうえ、被控訴人日比野に作業場として本件建物を賃貸することになったこと、右賃貸借契約の際、賃借人が法人か個人かの点につき特に話題にならなかったこと、作業場移転の際には、被控訴会社の作業場で使用されていた機械をそっくりそのまま本件建物に運び込んだものであること、そして控訴人も、本件建物に運び込まれた機械が被控訴会社の作業場にあったものと同一であることを知っていたことを認めることができる。被控訴人日比野が、本件建物での作業は自分の内職のようなものとしてやるのであって会社の事業としてやることはないと約した旨の《証拠省略》は措信することができない。そして、本件全証拠によっても、被控訴人日比野が本件家屋を被控訴会社に使用させる旨控訴人に申入れたこともまた控訴人がこれを承諾したことも認めることはできないけれども、前記認定事実によれば、被控訴人日比野としては被控訴会社の作業場を控訴人に見せたことにより、右作業場にあった機械を用いて本件建物で作業をすることの理解は得られたのであるから、被控訴会社にその業務のため本件建物を使用させることの了承も得られたと思ったものと推認することができ、したがって、被控訴人日比野が被控訴会社に本件建物を使用させる意図をことさらに秘し、控訴人を欺罔したものと認めることはできず、したがって、それが背信行為にあたるということもできない。

のみならず、《証拠省略》によれば、同被控訴人は、被控訴会社の唯一の無限責任社員であり、他の有限責任社員はいずれも親族であること(現在では他の社員が死亡して、同被控訴人及びその妻の二人だけが社員となっている。)、したがって被控訴会社は、被控訴人日比野のいわゆる個人会社であること及び被控訴会社の事業規模は、当初からそれほど大きくなってはいないことを認めることができ、前記のとおり控訴人は本件建物を作業場として、またその作業内容をも確認したうえで被控訴人日比野に賃貸したものであることを併せ考えれば、右転貸をもって控訴人に対する背信行為であるということはできない。

五  以上のとおり、その余の点を判断するまでもなく、控訴人の主張はいずれも理由がないから、控訴人の請求を失当として棄却した原判決は正当であって、本件控訴は理由がなく、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田辺康次 裁判官 相羽洋一 裁判官加藤英継は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 田辺康次)

<以下省略>

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